図書館暮らし D_X

特別読書好きではないが読みたい本を見つけたい、残りの人生のほとんどを図書館で過ごそうと思ったひとが書き始めました

言葉の表面と『ハンサムな大悟』

ハンサムな大悟は舞台です

ハンサムな大悟

たまには図書館から外に出て劇をみることにしました。『ハンサムな大悟』という作品です。

表面に触れるという話

(役者名は敬称略です。。。偉そうでごめんなさい。)

パワーというか、圧力を感じる舞台でした。本当に良かった。私の意識は劇の冒頭に配置された「言葉の表面に触れる」というセリフにからめ捕られたままでした。眼前に迫るオスの尻には当惑しましたが、隣の席の名前も知らぬ美女が喜んでいたに違い無いから良しとしましょう。

わたしは、ライブ感が好き。映像作品のように完璧を目指して調整され作り上げられた作品にも魅力を感じますが、そこにある役者の緊張感と圧力を感じられる舞台は本当に好きです。

森本華の中に詰まったもの

森本華の演技を素晴らしく感じました。『ハンサムな大悟』では劇中、主役以外は複数の役をこなします。森本華は役ごとにまとう空気が違ってみえました。内側に何かがたくさん詰まっていそうな演技でした。そして、ロロの文芸部を初めて読みました。とても納得しました。

表面

表面が腐った女と愛し合う大悟にひきこまれながら、最後に大悟にとって名前の無い旧友にかけられる残酷な言葉「愉快なひとですね」。わたしたちは、表面的な付き合いばかりをするだけでなく、残酷なことに「誰か」を「誰か」と区別する大事なコードであるはずの名前すら忘れていくのです。

こんな感じ方をしていたら、表面という言葉の迷宮にとらわれすぎ、最後の大悟のシーンを思い出せなくなりました。気づいたらハンサムな大悟は終わり、闇の中で覚醒していました。もう一度、観なければならない。でも、観ることができないのです。

とにもかくにも、森本華の次の演技が楽しみです。

次回作は何でしょう?

いつでしょうか?